カテゴリー
物語

ロバ売りの親子2

それを聞いた男は思いました。
「確かに、そう言われてみればそうだな」と。
そして荷物をロバに乗せて、親子は町へ向かって歩き出しました。

しばらく行くと、村の人であろう中年男女が集まっているのが見えてきます。

中年男女に親子が近づくと、何やらこちらを見て話をしています。

女「ほら、あそこにいる親子を見てごらんなさい」

男「あれはダメだな。あんなに重たい荷物をロバに載せたらロバがバテちゃうぞ」
「あんな重たい荷物を載せるくらいなら、小さな子供を乗せなくちゃいけないな」

それを聞いた男は思いました。
「確かに、そう言われてみればそうだな」と。
今度は荷物の代わりに子供をロバに乗せて、親子は町へ向かって歩き出しました。

しばらく行くと、村の人であろうお年寄り達が集まっているのが見えてきます。


お年寄り達に親子が近づくと、何やらこちらを見て話をしています。

「ありゃ何だ?あれを見てみなよ。若い子供がロバに乗り、年長者の親が歩いてやがる」
「子供が楽して親父が苦労かい。甘やかしてるな。若いうちは歩かせて身体鍛えないといけないよな」

男は「確かに、そう言われてみればそうだな」と、今度は子供の代わりに自分がロバに乗り、親子は町へ向かって歩き出しました。

カテゴリー
物語

ロバ売りの親子1

昔々、あるところに、粉屋を営んでいる男とその男のまだ小さな息子がいました。

粉屋の父と小さな息子はある町へロバを売りに出かけて行きました。

親子がロバを引いて歩いて町に行く途中、ある村に着きました。

しばらく行くと村の人であろう若者達が集まっているのが見えてきます。

若者達に親子が近づくと、何やらこちらを見て話をしています。

「おいおい、あれ見なよ。あのロバを引いてる親子だよ」

「ありゃ馬鹿だね。ロバがいるのに、自分たちで荷物を背負ってるよ」

「ロバに楽させて自分たちが苦労してやがる」

 

カテゴリー
物語

自分の世界を広げる為に物語を考えてみよう1

「ロバ売りの親子」っていうイソップ寓話、知ってますか?

テレビはあまり見ないので知りませんでしたが、林修先生がテレビで「人の意見に左右されて主体性の無い行動を取ってばかり」の親を「ロバの親子症候群」と名付けていたらしいですね。

この物語の一般的な解釈としては、他人の意見に左右されてばかりいて、その度に行動を変えれば、時として損をしてしまうよ、ってお話ですね。

このような物語って、人それぞれに色々解釈してもいいんですよね?(いけないのかな?笑)

先に述べた「他人の言うことばかりに流されて主体性がなければ、酷い目にあうよ」ってのが、普通は考えることですよね?しかし、私の場合、あまり他人の意見に振り回される事が無い人間なんで、反ってこういう「人の意見で行動を変えれる柔軟さは凄いな」とも考えちゃいました(笑)

で、この男、「とにかくやってみよう」ってやっちゃったんですよね?結果は失敗に終わったけど、「何事もやってみないと判らないよな?」とも思えます。多分この男も、今度またロバを売りに行く時は二度と同じ過ちはしないだろうし、最初にロバを売りに行く時はロバに何も載せずに売りに行く予定だったんだから、少なくともロバさんに色々載せて運んでもらえる事も学習できた。それも自ら行動して損をした。
これも時には人生に必要かな?なんて考えが私なら出てきちゃいます。

しかし、同時に思う事は、人から言われて「本当はそれが正しい事なんだ」と、単純に「正しさ」を信じてしまうだけの事なら、同じ過ちを繰り返して、いつかはまた酷い目に合うのは必然のことでしょうが。

あなたならどう捉えますか?
では、「ロバ売りの親子」です。

カテゴリー
名言集

名言4-クリストフ・エッシェンバッハ

名言集 クリストフ・エッシェンバッハ
(ドイツのピアニスト、指揮者/1940年~)

われわれは他人が幸福でないのを当たり前だと考え、
自分自身が幸福でないことには、いつも納得がいかない。

「格言集」より

 

カテゴリー
名言集

名言3-北野 武

名言集 北野 武
(漫才師、タレント、俳優、脚本家、映画監督/1947~)

「夢を持て、目的を持て、やれば出来る。」そんな言葉に騙されるな。何も無くていいんだ。
人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけで大したもんだ。

ビートたけし「僕は馬鹿になった」より

何故だか肩の力が抜けて、気が楽になります。(笑)

カテゴリー
心理

「ジジ・ババ」が「ワカモノ」に負けないこと 2

その答えは・・・「経験」です。

現在では、あらゆる分野で経験を積むことで直感が働きやすくなることが解っています。
ですから、若い方の多くが経験が少ない分、直感が働かなくとも当然ということですね。
故に、年を取って経験を積むほど直感が働きやすくなります。

脳で言えば、直感を生む場所は大脳基底核の一部である線条体ですね。
ここは同時に「やる気を出す」場所でもあります。「直感が働く」「やる気を出す」といった事以外でも、色々な技能を取得する際に使われる「手続き記憶」を可能にする場所でもあります。

日常の線条体の働きでは、直感を使うよりむしろ自転車の乗り方や楽器の演奏、絵の描き方やグラスや茶碗の持ち方など、「手続きがいる動作」の記憶などに多く使われています。

こうしたことは実際にやってみないと解らない事ばかりですよね?
そして経験を積むことでしか可能にならないことばかりです。

直感も同じで、膨大な情報をその時々に合わせて無意識に計算して正解を導き出しています。
「コップを握ってそれを口に運んで飲む」といった誰もができる普段の動作でさえ、実は膨大な計算を無意識で行わなければ、コップの水を飲むことはできません。

直感もこれと同じです。故に直感をより働かせるには、全てに働く直感を期待するより、ある一つの事に的を絞り、その経験を多く積めばよい事が理解できてきます。

どうですか?年を積み重ねるのも悪くないと思いませんか?(笑)

また、脳は失敗から多くを学びます。失敗をすればするほど、より合理的に、よりエネルギー消費がいらないように、正解を導き出そうとします。故に失敗はとても大切な事で、直感をより働かせるにはとても大切な「学習」だという事になります。

こうした脳の生理学的な特性を活かし、直感を合理的に鍛えるならば(笑)、答えは自ずと解ってきますよね?

「一つの事に的を絞り、何度でも何度でも失敗を恐れずチャレンジして、直感が働くまでやる」

矛盾していますが、合理的に直感を鍛えるには合理的ではないように思えることをすることです。

後は「モチベーションが下がらないように維持させ、年を積み重ねる」。
どうですか?「年をとる事も、そう悪くはないな?」と思えてきませんか?(笑)

カテゴリー
心理

「ジジ・ババ」が「ワカモノ」に負けないこと 1

この歳になると若い方の良いところが色々と見えてきます。同時に羨ましいとも思えます(笑)
では、歳をとる度に全てが衰えてきてしまうのでしょうか?何か、年を積み重ねるとお得な事は無いのでしょうか?(笑)
「・・・・・・あっ!」ありました。
では順を追って説明していきますね。

例えば言葉と違い、絵は感覚的に捉えないといけないと同時に、好き嫌いなどの感情が表れるものです。

本来は、素直に選択すれば理屈や理性が働く前に感覚で捉え、感情のフィルターを通して好き嫌いの気持ちを誘発して選択することができるはずです。

しかし、「この絵は何か良いな」と思っても、説明などを読んで「やはり他のにしよう」なんて変えてしまったことはありませんか?

このような時は、直感が働いてもやはり理性や理屈など頭で理解できないと納得がいかないことなので、思考が感情や感覚、そして「直感」を抑え込んでしまいます。

絵だけでなく、味覚や臭覚、その他の感覚も思考の影響を受けることが当然あります。

もうずいぶん前の話ですが、当スクールに通っていただいていた生徒さんがアロママッサージの資格試験を受ける際に、ご主人をモデルで連れてきて施術の練習をしていました。当店はカウンセリングの際、一つ一つ香りを嗅いでいただき、その場でブレンドをすることにしているので、そのやり方でそのご主人にも施術を受けてもらいました。

因みにそのご主人はイギリスの方です。このご主人にもその場でブレンドしていこうと思いました。
その際「何か好きな香りはありますか?」と尋ねると、「フランキンセンス」とそのご主人は即座にお答えになられました。奥様(この時は当店の生徒さん)曰く「この人は歴史があるものに価値がると思ってて、その背景に歴史や物語があるフランキンセンスが良い香りだって思ってるんです」と言われました。

感覚的なことが最初に動いてしまう私には、とても驚きでした(笑)

少し脱線しましたが、絵のお話に戻します。
絵などで「いわゆる名画」と「そうでないもの」を、絵などあまり見たことが無い人達に見せると、ランダムに「名画」と「そうでないもの」を選択すると言われています。
しかし、何度も何度も「名画」を見せることで「名画か、そうでないものか」を区別できてくると言われます。世間が決めた名画を直観的に選択できるようになったということですね?(笑)

何が言いたいかと言えば、冒頭で述べた年を積み重ねると得な事とは「直感」が働きやすい。と言う事です。

まだ脳のことがあまり解っていなかった昔は、どうして「直感が鋭い人とそうでない人」がいるのか?
また「直感が働く時と働かない時はどう違うのか?」を、科学的に説明はできませんでした。

しかし最近は、多くの脳科学者や研究者の研究や実験のおかげで、少しずつこうした脳の機能も明らかにされてきています。
しかし、まだ脳科学が無い昔の人たちでも、何かの技術や技法などを教える時、こうしたことを理屈で説明は出来なくても、「どうしたら上手くいくのか?」の正解は解っていて、一人一人の弟子達に伝えてきました。

要するに、こうした理屈が解らなくとも正解は知っている。これこそが直感ですよね。
では、なぜ理屈が解らないのに正解が解るんでしょうね?
理屈は解らない。説明は出来ない。だけど正解だと強く確信できる。結果、「やはり当たった」。
何故でしょう?

カテゴリー
心理

ちょっと待て!迷子なる前に無意識を意識化してみよう

ネットで調べものをしていたら、成功法則で著名な方が「運」について語ってらっしゃるのを拝見しました。

要約すると、その方は「見て覚える」「聞いて覚える」など、本や人の意見などを取り入れて成長しない人は、「身体で覚える」など、苦しみながら「間違っていることを身体で覚えないと」いけない。

故に「結果、失敗し続ける」みたいなことをおっしゃってました。私は「なるほどなー」と思いました。

私自身が不器用で間違いを繰り返しながら「やっとたどりつく」なんて繰り返しの人間なので、自分が意識していない考え方は勉強になります。

あなたは何かを覚える時にどのように覚えると覚えやすいでしょうか?
「見て覚える」「聞いて覚える」「書いて覚える」「口にだして覚える」「身体で覚える」など、様々な覚え方があると思います。
それぞれに利点もあり欠点もあるんじゃないのか?と私は思いますが、どう思われますか?

「身体で覚えたり、経験で覚えたりすることが得意な方」が、「見て覚えたり、聞いて覚えたり」する事を主体とした試験などでは実力を発揮することは大変でしょう。

その様な人でも諦めず「書いて覚えることや音読で覚える事が得意」と気づき、学習に活かせば成績も良くなるでしょう。
その事に気づかず努力しても覚えられないことで学習が嫌いになり、勉強が出来なくなる人もいるのではないでしょうか?

しかし、そういった方も身体を用いた作業やスポーツなどでは実力を発揮し、人一倍覚えが早かったりして「学生の頃は成績は良くなかったが、仕事は出来る」なんて人も数多くいます。

ただし、その方が現場を離れて役職に就き、仕事でもまた「見て覚えたり、聞いて覚えたり」する事を主体としたものが必要になれば、ミスや失敗が続き自信がなくなって仕事も嫌になってしまうかもしれません。

このタイプの人達とは逆に、「見て覚えたり、聞いて覚えたりする」ことが得意で学業の成績も良かった方が、たまたま「身体で覚えたり、経験することで覚えたりする」ことを必要とした仕事に就いた場合などは、「学生の頃は成績も優秀で上手くこなしたのに、何でこんなに上手くいかなくなってしまったんだろう?」と思う事もあるかもしれません。

これはただ単に、今までとは「違う覚え方」を社会や会社などが要求してきただけのことですよね?

こんな言われてみれば当たり前の事でも、気付かずに人は無意識で慣れ親しんだ覚え方をしようとしたことで失敗を繰り返したりしてしまいます。

「能力」「性格」「運」「霊」などのせいにしてしまい、事態を悪化させたり、宗教や占い・霊能者など、かけ離れた方向に進んで迷子になったりもします。

困った時ほど「不思議な力」に頼りたくなるのも「人間の弱さ」ではないかな?と思います。でも実は意外とその答えは自分の中にあり、「無意識に行ってたものに気づくことで解決することもあるんじゃないかな?」というお話でした(笑)

カテゴリー
名言集

名言2-チャップリン

名言集 サー・チャールズ・スペンサー・チャップリン
(映画俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサー、作曲家/1889~1977)

チャップリンの名言に

下を向いていたら、虹を見つけられないよ。

っていう言葉があります。いい言葉ですよね。

 

でも、どうしても下を向いてしまう時には、水溜まりに映る虹を見つけられるといいですよね?

 

 

カテゴリー
心理

宝物は見つかりましたか?誰もが皆トレージャーハンター 3

でも、よく考えてみれば解りますが、例えば高級車が欲しいと頑張って手に入れる。その時の購入代金だけでなく後ほどの修理費用、メンテナンス費用、全てにお金がかかってきます。

その分は稼ぎから出ています。その分余計に働かないといけない。出来るだけお金を支払いたくなければ、その分その車やメンテナンスの知識や経験を積まないといけない。当たり前の話でそんなの苦にもならないほど稼ぎや蓄えが多ければいいんでしょうが、しかし車だろうがマイホームだろうがお店だろうがビルだろうが資格や才能だろうが美しさだろうが、いずれ老朽化するし、修理やメンテナンスもいる、管理もいる、磨き続けないといけない、学び続けないといけない、色々な事がセットで付いてきます。

更にもし、そのものを持つ事で他者から認めてもらいたい、なんて思ったら自分よりいいものを持ってる人をみれば、悔しくなり、もっともっといいものをと、欲望も大きくなるでしょう。更にそれですべきことがまた増えてしまいます。

持つ人はそれなりに持たない人より本当に幸せか?って感じに思えてもくる。要するに、持てば持つほど幸せになるってのは幻想のようにも思います(笑)。
これは結果を出すこととも関係してくると思います。

だからと言って、無い事がいいとも思ってもいません。無い苦しみは味わってみないと解らないものです。
結果を出せない苦しみもとても辛いものです。行きたいとこに行けない、したいことが出来ないのも辛い。

私はまだまだ世の中、結果を得た人などが何でも言えて、「それは正しい」と付いてく人も多いと思います。
同時に私のようにそれは「その人の世界の正しさや幸せ」であって「私の世界の幸せとは何も関係ないよな?」なんて思う人も増えてきたとも思います。

結果ばかりに目が向き、結果を手に入れたければ、論理性や合理性、具体性や表現力、発想力などが必要でしょう。しかしその才能がない人もいます。「それでも頑張れば出来る。私のように頑張れ」は違うような気もします。

どんな生き方をしたとしても、人は何でも飽きる事も嫌になることもある。他がよく見えてくることもあるでしょう。
それで飽きて次はこれ、次はこれと再現なく移り気になればなるほど迷子になってしまいます。自由を追い求めて逆に縛られて苦しくなってしまうかもしれません。

要するに、持とうが持たなかろうが、結果を出そうが出すまいが、どんなライフスタイルを送ろうが、幸せは「それを苦しんでやってるのか?楽しんでやっているのか?」「苦しくても好きだからやってるのか?」「嫌でもやってたら好きになってしまったのか?」その過程に何を感じてどんな宝物を見つけられるのか?そんな事ではないのか?なんて、ぼんやり爺になって思えるようになりました。作文だなこれ(笑)