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気楽な考えが運動の習慣をつくる

「健康を保つには運動は欠かせない」、なんとなく誰でも解ってます。
しかし、忙しかったり疲労感から、なかなか運動できない方も多いと思います。

誰でも「やらなけりゃいけない」「わかっちゃいるけどね」なんて事で、先延ばしにしたりもします。

忙しい現代の人達は、手軽に始められるウォーキングやランニングでさえ、冬なら「寒いから」、夏なら「暑いから」となります。春や秋でも「今は忙しい時期だから」なんてのも出てきます。誰でも同じですよね(笑)

でも、よくよく考えてみれば、「好きな事」なら意外と上記の理由があってもやってたりもします。
ってことは、運動を「好きな事」にすれば言い訳せずにやれるかもしれません。

「でも、昔から運動は苦手だから」、そう言われる方達が多くいます。しかし、昔は苦手でも今なら「好きな事にできる」かもしれません。

まずは「運動」なんて重苦しく考えずに、今すぐに出来る事、時間もお金もいらない事、そんな事で充分「運動する習慣」の初めの一歩が踏み出せます。

そこで、「ウォーキング」とか言ってしまわずに、「散歩」なんて気軽に捉えてみてはどうでしょう?

したくない人なんかは別として、解ってるけど出来ない人向けに話してますので、そんな人だけ読んで下さいね。

では「したいと思っているのに出来ない」のは何故でしょうか?
私からすれば、真面目に真剣に考えすぎなのでは?と思います。

私は定期的に少しでも走ったり、少しでも筋トレしたりする習慣があります。

しかしジムとかには通ってません。多少の運動器具は使いますが、ほとんど時間もお金もかかりません(笑)

運動を習慣に出来てる理由は「軽く、適当に、深く考えずに」やってるからだと思います。

私は別に競技に出るわけでも、誰かに評価されたいわけでもないので適当にこなします。(笑)

私だって体調が悪い時や、足も手も腰も痛くなる時もあります。
そんな時は「あー、やりたくないな。痛いな」なんて思ったりします。

例えば傾斜をつけて腕立て200回と決めてたりします。「あー、腕、痛いな」なんて思って。やりたくない時もあります。

そんな時ほどすぐにその場でやります。ただし傾斜をつけずに、その場で腕立て100回だけとかにしてみます。
「あれっ?できるかな?」なんて思えば、そのまま200回やります。更に出来そうなら、その後いつもみたいに傾斜をつけて、できるだけやったりしますが。

しかし、「あれ、やはり出来そうにもないな」なら、100回で終了。その後、時間を空けて100回とかやります。これで100+100で200回です。1度で200回やるより楽です。更に傾斜がないのでメチャ楽です。

体調が悪ければ50回で終了。4度に分けてもいいとも思ってます。こんないい加減に適当にやってるから続くのかな?なんて思ったりします。

ですから運動の習慣がない人ほど、まずは効果を期待し過ぎないこと。「正しくやろう」とかは、まずは置いといて、あまり難しく考えない方が習慣になると思います。
ウォーキングでもリズム、速度、姿勢、それに伴う心拍数、10分よりは30分、夜よりは朝とか(視点により逆になりますが)、色々言い出したらキリがありません。

でも、一番大切なのが、「少しでもやった私は偉い」と、満足できる心の習慣が運動の習慣を作れるのでは?と思います。
正しくやることも重要でしょう。効果を期待してやるのですから。
しかし、長い目で見たら、効果より習慣、正しいより気軽の方が運動すること自体が楽しくなると思いますが、いかがでしょうか?

今回は軽い作文でした。

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「ジジ・ババ」が「ワカモノ」に負けないこと 2

その答えは・・・「経験」です。

現在では、あらゆる分野で経験を積むことで直感が働きやすくなることが解っています。
ですから、若い方の多くが経験が少ない分、直感が働かなくとも当然ということですね。
故に、年を取って経験を積むほど直感が働きやすくなります。

脳で言えば、直感を生む場所は大脳基底核の一部である線条体ですね。
ここは同時に「やる気を出す」場所でもあります。「直感が働く」「やる気を出す」といった事以外でも、色々な技能を取得する際に使われる「手続き記憶」を可能にする場所でもあります。

日常の線条体の働きでは、直感を使うよりむしろ自転車の乗り方や楽器の演奏、絵の描き方やグラスや茶碗の持ち方など、「手続きがいる動作」の記憶などに多く使われています。

こうしたことは実際にやってみないと解らない事ばかりですよね?
そして経験を積むことでしか可能にならないことばかりです。

直感も同じで、膨大な情報をその時々に合わせて無意識に計算して正解を導き出しています。
「コップを握ってそれを口に運んで飲む」といった誰もができる普段の動作でさえ、実は膨大な計算を無意識で行わなければ、コップの水を飲むことはできません。

直感もこれと同じです。故に直感をより働かせるには、全てに働く直感を期待するより、ある一つの事に的を絞り、その経験を多く積めばよい事が理解できてきます。

どうですか?年を積み重ねるのも悪くないと思いませんか?(笑)

また、脳は失敗から多くを学びます。失敗をすればするほど、より合理的に、よりエネルギー消費がいらないように、正解を導き出そうとします。故に失敗はとても大切な事で、直感をより働かせるにはとても大切な「学習」だという事になります。

こうした脳の生理学的な特性を活かし、直感を合理的に鍛えるならば(笑)、答えは自ずと解ってきますよね?

「一つの事に的を絞り、何度でも何度でも失敗を恐れずチャレンジして、直感が働くまでやる」

矛盾していますが、合理的に直感を鍛えるには合理的ではないように思えることをすることです。

後は「モチベーションが下がらないように維持させ、年を積み重ねる」。
どうですか?「年をとる事も、そう悪くはないな?」と思えてきませんか?(笑)

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「ジジ・ババ」が「ワカモノ」に負けないこと 1

この歳になると若い方の良いところが色々と見えてきます。同時に羨ましいとも思えます(笑)
では、歳をとる度に全てが衰えてきてしまうのでしょうか?何か、年を積み重ねるとお得な事は無いのでしょうか?(笑)
「・・・・・・あっ!」ありました。
では順を追って説明していきますね。

例えば言葉と違い、絵は感覚的に捉えないといけないと同時に、好き嫌いなどの感情が表れるものです。

本来は、素直に選択すれば理屈や理性が働く前に感覚で捉え、感情のフィルターを通して好き嫌いの気持ちを誘発して選択することができるはずです。

しかし、「この絵は何か良いな」と思っても、説明などを読んで「やはり他のにしよう」なんて変えてしまったことはありませんか?

このような時は、直感が働いてもやはり理性や理屈など頭で理解できないと納得がいかないことなので、思考が感情や感覚、そして「直感」を抑え込んでしまいます。

絵だけでなく、味覚や臭覚、その他の感覚も思考の影響を受けることが当然あります。

もうずいぶん前の話ですが、当スクールに通っていただいていた生徒さんがアロママッサージの資格試験を受ける際に、ご主人をモデルで連れてきて施術の練習をしていました。当店はカウンセリングの際、一つ一つ香りを嗅いでいただき、その場でブレンドをすることにしているので、そのやり方でそのご主人にも施術を受けてもらいました。

因みにそのご主人はイギリスの方です。このご主人にもその場でブレンドしていこうと思いました。
その際「何か好きな香りはありますか?」と尋ねると、「フランキンセンス」とそのご主人は即座にお答えになられました。奥様(この時は当店の生徒さん)曰く「この人は歴史があるものに価値がると思ってて、その背景に歴史や物語があるフランキンセンスが良い香りだって思ってるんです」と言われました。

感覚的なことが最初に動いてしまう私には、とても驚きでした(笑)

少し脱線しましたが、絵のお話に戻します。
絵などで「いわゆる名画」と「そうでないもの」を、絵などあまり見たことが無い人達に見せると、ランダムに「名画」と「そうでないもの」を選択すると言われています。
しかし、何度も何度も「名画」を見せることで「名画か、そうでないものか」を区別できてくると言われます。世間が決めた名画を直観的に選択できるようになったということですね?(笑)

何が言いたいかと言えば、冒頭で述べた年を積み重ねると得な事とは「直感」が働きやすい。と言う事です。

まだ脳のことがあまり解っていなかった昔は、どうして「直感が鋭い人とそうでない人」がいるのか?
また「直感が働く時と働かない時はどう違うのか?」を、科学的に説明はできませんでした。

しかし最近は、多くの脳科学者や研究者の研究や実験のおかげで、少しずつこうした脳の機能も明らかにされてきています。
しかし、まだ脳科学が無い昔の人たちでも、何かの技術や技法などを教える時、こうしたことを理屈で説明は出来なくても、「どうしたら上手くいくのか?」の正解は解っていて、一人一人の弟子達に伝えてきました。

要するに、こうした理屈が解らなくとも正解は知っている。これこそが直感ですよね。
では、なぜ理屈が解らないのに正解が解るんでしょうね?
理屈は解らない。説明は出来ない。だけど正解だと強く確信できる。結果、「やはり当たった」。
何故でしょう?

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ちょっと待て!迷子なる前に無意識を意識化してみよう

ネットで調べものをしていたら、成功法則で著名な方が「運」について語ってらっしゃるのを拝見しました。

要約すると、その方は「見て覚える」「聞いて覚える」など、本や人の意見などを取り入れて成長しない人は、「身体で覚える」など、苦しみながら「間違っていることを身体で覚えないと」いけない。

故に「結果、失敗し続ける」みたいなことをおっしゃってました。私は「なるほどなー」と思いました。

私自身が不器用で間違いを繰り返しながら「やっとたどりつく」なんて繰り返しの人間なので、自分が意識していない考え方は勉強になります。

あなたは何かを覚える時にどのように覚えると覚えやすいでしょうか?
「見て覚える」「聞いて覚える」「書いて覚える」「口にだして覚える」「身体で覚える」など、様々な覚え方があると思います。
それぞれに利点もあり欠点もあるんじゃないのか?と私は思いますが、どう思われますか?

「身体で覚えたり、経験で覚えたりすることが得意な方」が、「見て覚えたり、聞いて覚えたり」する事を主体とした試験などでは実力を発揮することは大変でしょう。

その様な人でも諦めず「書いて覚えることや音読で覚える事が得意」と気づき、学習に活かせば成績も良くなるでしょう。
その事に気づかず努力しても覚えられないことで学習が嫌いになり、勉強が出来なくなる人もいるのではないでしょうか?

しかし、そういった方も身体を用いた作業やスポーツなどでは実力を発揮し、人一倍覚えが早かったりして「学生の頃は成績は良くなかったが、仕事は出来る」なんて人も数多くいます。

ただし、その方が現場を離れて役職に就き、仕事でもまた「見て覚えたり、聞いて覚えたり」する事を主体としたものが必要になれば、ミスや失敗が続き自信がなくなって仕事も嫌になってしまうかもしれません。

このタイプの人達とは逆に、「見て覚えたり、聞いて覚えたりする」ことが得意で学業の成績も良かった方が、たまたま「身体で覚えたり、経験することで覚えたりする」ことを必要とした仕事に就いた場合などは、「学生の頃は成績も優秀で上手くこなしたのに、何でこんなに上手くいかなくなってしまったんだろう?」と思う事もあるかもしれません。

これはただ単に、今までとは「違う覚え方」を社会や会社などが要求してきただけのことですよね?

こんな言われてみれば当たり前の事でも、気付かずに人は無意識で慣れ親しんだ覚え方をしようとしたことで失敗を繰り返したりしてしまいます。

「能力」「性格」「運」「霊」などのせいにしてしまい、事態を悪化させたり、宗教や占い・霊能者など、かけ離れた方向に進んで迷子になったりもします。

困った時ほど「不思議な力」に頼りたくなるのも「人間の弱さ」ではないかな?と思います。でも実は意外とその答えは自分の中にあり、「無意識に行ってたものに気づくことで解決することもあるんじゃないかな?」というお話でした(笑)

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宝物は見つかりましたか?誰もが皆トレージャーハンター 3

でも、よく考えてみれば解りますが、例えば高級車が欲しいと頑張って手に入れる。その時の購入代金だけでなく後ほどの修理費用、メンテナンス費用、全てにお金がかかってきます。

その分は稼ぎから出ています。その分余計に働かないといけない。出来るだけお金を支払いたくなければ、その分その車やメンテナンスの知識や経験を積まないといけない。当たり前の話でそんなの苦にもならないほど稼ぎや蓄えが多ければいいんでしょうが、しかし車だろうがマイホームだろうがお店だろうがビルだろうが資格や才能だろうが美しさだろうが、いずれ老朽化するし、修理やメンテナンスもいる、管理もいる、磨き続けないといけない、学び続けないといけない、色々な事がセットで付いてきます。

更にもし、そのものを持つ事で他者から認めてもらいたい、なんて思ったら自分よりいいものを持ってる人をみれば、悔しくなり、もっともっといいものをと、欲望も大きくなるでしょう。更にそれですべきことがまた増えてしまいます。

持つ人はそれなりに持たない人より本当に幸せか?って感じに思えてもくる。要するに、持てば持つほど幸せになるってのは幻想のようにも思います(笑)。
これは結果を出すこととも関係してくると思います。

だからと言って、無い事がいいとも思ってもいません。無い苦しみは味わってみないと解らないものです。
結果を出せない苦しみもとても辛いものです。行きたいとこに行けない、したいことが出来ないのも辛い。

私はまだまだ世の中、結果を得た人などが何でも言えて、「それは正しい」と付いてく人も多いと思います。
同時に私のようにそれは「その人の世界の正しさや幸せ」であって「私の世界の幸せとは何も関係ないよな?」なんて思う人も増えてきたとも思います。

結果ばかりに目が向き、結果を手に入れたければ、論理性や合理性、具体性や表現力、発想力などが必要でしょう。しかしその才能がない人もいます。「それでも頑張れば出来る。私のように頑張れ」は違うような気もします。

どんな生き方をしたとしても、人は何でも飽きる事も嫌になることもある。他がよく見えてくることもあるでしょう。
それで飽きて次はこれ、次はこれと再現なく移り気になればなるほど迷子になってしまいます。自由を追い求めて逆に縛られて苦しくなってしまうかもしれません。

要するに、持とうが持たなかろうが、結果を出そうが出すまいが、どんなライフスタイルを送ろうが、幸せは「それを苦しんでやってるのか?楽しんでやっているのか?」「苦しくても好きだからやってるのか?」「嫌でもやってたら好きになってしまったのか?」その過程に何を感じてどんな宝物を見つけられるのか?そんな事ではないのか?なんて、ぼんやり爺になって思えるようになりました。作文だなこれ(笑)

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宝物は見つかりましたか?誰もが皆トレージャーハンター 2

一生、その矛盾を解決してくれる宝物を探し求める人もいるでしょう。
見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。

どこかでそれが嫌になり、本当にどうしても「したい、欲しい、手に入れたい」と、覚悟を決めてリスクを引き受ける人もいるでしょう。それでもがいて頑張ってみる。

それで、叶うかもしれないし、叶わないかもしれません。

でも、もがいてももがいても上手くいかない、手に入らない人もいる。それでも一生もがいて頑張る。それも人生でしょう。

もう、もがくのが嫌になり、もがくのを止め、諦める。ありのままを引き受ける。そこから明らかになることもある。それも人生でしょう。

又は、別な事でまたリスクを引き受けて、もう一度、頑張ってみる。
それで叶うかもしれないし、叶わないかもしれません。

今の世の中、持てる人はどんどん得て、持ってない人は増々持てない。
なんか変ですよね?でも、それが幸せと関係があるのかな?とも思います。

何かで成功すれば、あたかも全てが出来るがごとくお話しする方達もいます(笑)
「いやー、本当にそこまで言いきれるの?あなた神じゃないんだから」なんて方もいます。
勿論、そういう方からも学ばさせていただいてます。

つづく・・・

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宝物は見つかりましたか?誰もが皆トレージャーハンター 1

私達は常に矛盾する何かをかかえています。

痩せて綺麗になりたい、でも美味しいものを何時でも思いっきり食べたい。

収入を増やしたい、でもこれ以上働きたくない。

多くの人から賞賛されたい、でも人づきあいは苦手だ。

恋人が欲しい、でも嫌われるのも嫌うのも嫌だ。

人気者になりたい、でも人に非難されたくない。

何でも相談できる友達が欲しい、でも人の悩みは聞くと疲れるからあまり聞きたくない。

成功したい、でも損も失敗もしたくない。

そこでこの矛盾を何とかしてくれる情報を探しまくり、大体行き着くのが「どれだけ食べても大丈夫、好きなものを好きなだけ食べて綺麗に痩せる。」

「働く人ほど収入が低い、がんばって働くほどあなたの収入は減る。」「あなたではなくお金に働いてもらおう」「頭で儲ける、知らないとあなたは大損してます。情報弱者は生き残れない!」「あなたが働かなくても、ほったらかしでも月々〇〇万稼げる。」

なんてものにとびついてしまいます。高いお金を出して成果があればいいんですが、そんな宝物を見つけようとしてたりします。(笑)

それでダメでも何故かしばらくたつと今度こそと同じようなものにとびついてしまう。
こんな人いると思いますが、あなたの近くにもいませんか?

あっ、俺か(笑)

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不安、心配、恐れからの解放3

あなたが何かをしているときに、もう一人の自分が自分を客観的に見ているのを感じた事があると思います。「あっ、今自分は〇〇しているんだ」みたいな感じですね。
自分を客観視する能力を「メタ認知」と言いますが、この「自分を客観的に見ている自分」を鍛える事で恐れや不安、心配事から早く抜け出しやすくなります。

自分の考え方のクセに気がつき、「こんな時に何時もこうだな」「こういう時に何時も〇〇の気持ちにになってしまう」など、まずは自分が自分を理解する。これが結構、重要になってきます。
人は誰でも自分の気持ちやそこから生まれる言動や行動などを無意識かつ主観的に行っています。ですからこの力を鍛える事で冷静に自分を捉える事が出来るようになってきます。
とは言うものの、私なんかまだまだ今でもよく感情的になってしまいます(笑)。これなんか、まだまだ自分を客観的に見れていない証拠ですよね(笑)

これを鍛えるのにはマインドフルネスや瞑想、「止想」などがもってこいですが、これ、なかなかやらない人が多いんですよね(笑)。そこで何かないか?と思ってたら、「そう言えば、これ使える」ってのがありました。それはノートを少しだけ書くものです。やり方はいたって簡単です。

なんとなく同じ場面や同じ状況で、同じような出来事で「不安や恐れ、悩みを感じているな?」って感じたら、忘れないようにノートに記録しておきます。ノートの1ページを半分に折って、向かって左半分に不安や恐れ、悩みなど、または楽しかった気持ちを書いてみます。右半分はその気持ちになった出来事や状況を書いておきます。

左半分は想像や気持ちの世界ですね。右半分は実際に起こった出来事です。ただそれをつけてみる。日付も書いておくと後で見直すとき便利です。(一日に5つほどの気持ちでよいです)

不安や恐れや悩みだけでなく、幸せに感じた事なども日記のようにつけていきます。

更に後ろに五段階の評価で数字をつけときます。スゴイ良い気持ちなら5 よい気持ちなら4 普通は3 嫌な気持ちは2 すごい嫌な気持ちなら1

これだけでも自分の心の癖が客観的に理解できてくると思います。まずは治そうとかせずに、ただ書いておいて見直してみる。後は自分の中にある「自分を幸せにする力」を信じて、気持ちを変えれるなら変えればいい。

不安や恐れ、悩みが多い人は、こんな簡単なことから始めてみてはいかがでしょうか?

更にそれもやりたくないなら、何か食べましょう(笑)。温かいものを食べてみましょう。
私たちは動物なので、お腹が空いているとどうしても不安や恐れを感じやすくなってしまいます。まずは食べたいものを食べてみましょう。

それも食べたくないなら、せめて温かい飲み物を飲んでみましょう。飲めた、食べれたなら、お風呂に入ってみましょう。

それができた後でノートをつけてみる。それも1行だけで充分。左に想像(思った事、悩み、不安、恐れ)、右に現実(起きた出来事)、それだけ。事実と想像、それだけ書いて見比べてみます。

ノートをつけていくと「自分を幸せにする力」が考えの癖を治すアイディアを教えてくれるかもしれません。

そうしたら今度は見開きで左のページにアイディアを書いていきます。今まで通り右ページは2分割して右が出来事、左が想像ですね。

やってみて合わなければ捨てる、止める、今日は止めとく、ただそれだけです(笑)

このノートの書き方、左に思った事、右に事実を書く、5段階評価は私の考えではなく、私も続けているスマートノートというノート術の方法です。それを少しだけ変更したものです。本当に役に立つので読書が苦にならない方は一度読んでみて下さい。

「あなたを天才にするスマートノート」岡田 斗司夫(著) 出版社:文藝春秋 (2011/2/25)

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不安、心配、恐れからの解放2

私の仕事はボディーセラピーです。初めのうちは「身体のケアなのになんで心理が必要?」なんて思っちゃう方もまだまだいました。いや、今でもいます。(笑)

肩こり、腰痛、各種の痛みの緩和なので、生理学的な知識なら必要かも知れないが、「なんで心?」なんて思われてもいます(笑)

さすがに私のお客様はご紹介が多いので、理解して下さってる方のほうが多いと思いますが、それも解りません(笑)

「心は心、身体は身体、それぞれの肩書のある専門家に見てもらう」、当たり前の考えで、勿論正解でしょう。
しかし、長年こういった仕事をしていれば自然に理解できてくるのですが、身体は身体の知識や経験技術、心は心の知識や経験や技術があればいいなんて単純にいかない場合が多くあります。人の心と身体は互いに影響し合ってます。

例えば抑うつなどで悩まれている方達は、身体の筋肉が緊張して取れない状態の方がほとんどです。
特に肩胛骨周りの深い筋肉に緊張が見られます。表面の筋肉ならマッサージなどで一時的に解れるのでよいのですが、深い筋肉にはなかなかアプローチ出来ないと思います。できても一時的に解しただけでは根本的な解決にはなりません。

当たり前のことなんで少し考えれば解りますが、人は不安、恐れ、悩みがあれば当然それが身体にも現われてしまいます。
筋肉が緊張し、神経を圧迫すれば痛みも出ます。自律神経の交感神経が常に優位で、副交感神経があまり活性化されていなければ、当然内分泌系や免疫系に影響を与え、感染症や細胞のガン化、だるさ、不眠、臓器の異常、それこそ色々な病気が生み出されていくかもしれません。

身体の痛みや緊張が取れずに心の不安や恐れをどうやって取るのでしょうか?
心の不安や恐れ、悩みが根本原因でも、それを見ないで病気や身体の異常を一時的に治しても、またどこかに異常が出てくるのでは?

という事で、前書きが長くなりましたが前回の続きです。

他の動物でも怪我や病気になれば「痛い」「辛い」「苦しい」と思うでしょう。

前回も書きましたが、これらは事実です。困ったことに、人は病気になって「痛い」「辛い」「苦しい」の事実から想像上の苦しみを勝手にどんどん生み出していきます。

「このまま治らないならどうしよう」「仕事、勉強が遅れてしまう、どうしよう」「このまま職がなくなったら」「家族にこれ以上迷惑かけたら」・・色々生み出して物語を作っていきます。すると身体の方も痛みが増したり辛さが増したりしてしまうでしょう。

更にうつや不安が大きい人、常に悩み事が多い人などは、他人の物語まで自分に結び付け考えてしまう特徴があります。
例えば「友達がケンカしていた」。それを見て「えっ、この前、私が話したことでケンカしてるんじゃないの?」
「だって、あの二人仲がいいのにあんなケンカするなんて・・」「やはり私が原因でケンカしてるんだ、どうしよう」
コントロールできない他人の物語にまで自分を登場させて、新しい「不安物語」をどんどん作り上げていきます。

そんな動物は多分人間だけでしょうね。しかし、生物が生き残っていく過程において不安を感じる、恐怖を感じる、それは生きる上でとても大切なものです。それがあったからこそ生き物は現在まで命を繋げてこれました。
ですから恐怖や不安を感じる事、それ自体は決して悪いものではないのです。
問題はそこから生まれてしまう「自動的に生まれてくる想像的な思考」です。

まずはそれに意識を向けてみます。何時も同じ気持ちや同じ考え、同じ感情に振り回されていないか?

ここに気づく事が次のステップだと思います。

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不安、心配、恐れからの解放1

私も含め、多くの人達が多くの時間「今、ここ」に意識が向かず、必要以上に過去や未来に意識が向いてしまっています。

ストレスがあまり無くて心も体も良い状態なら、いい事を思い出せたり、良い未来を描いたり、語ったりもできるでしょう。
しかし、疲れが溜まっていたり、不調の時、またはストレスとなる出来事に出くわした時などは、嫌な事を思い出して出来事を繋げて「悲劇のヒロイン物語」を作ってみたり、未来の心配事を繋げ「不安物語」などを創作してしまいます。

例えば、「会社で上司に挨拶したが無視された」「学校で友達や先輩に挨拶したが無視された」。誰でもよくある事です。
「あっ、気づかなかったのかな?」、これならここで終了で問題にもなりません。こう考えられる時もよくあります。
しかし、「えっ、もしかしたら私何かまずいことした?」「えっ、嫌われてるの、私?」、「何で?」って思うと「お悩み物語」や「不安物語」が開幕です。

挨拶をしてくれなかったことは事実です。→「えっ、もしかしたら私何かまずいことした?」これは想像です。
しかも勝手に浮かんでくる想像の思考(自動思考なんて言います)。更に人はここから「そう言えばこの前のあの言い方、まずかったかな?」「あの時、断ったから怒ってるんだ」と、物語をどんどん作り上げてしまいます。

更に、「あの人に嫌われたら・・〇〇も困る・・〇〇に迷惑かける・・〇〇さんにも嫌われるんじゃないか」。
物語をどんどん作り上げていきます。

もう一度言います。挨拶をしてくれなかったことは事実です。その先は想像です。過去の記憶を当てはめたり、未来の不安を想像したりして創作したものです。しかもあなたがしたくてしてしまうものではなく、勝手にどんどん物語を作り上げ、「私なんてどうせ皆に嫌われる存在なんだ」、こんな物語を作ってしまうかもしれません。
最終的に「この先も人に嫌われて、人間関係に悩まされるだろう」といった未来に希望が持てなくなってしまうかもしれません。

アメリカの実験ですが、「あなたは何が心配ですか?」「あなたには今後何が起こると思いますか?」と、二週間分記録してもらいました。
その後、その予測と実際に起きた結果を照らし合わせてみると、97%もの心配事がただの思い過ごしだったことが判っています。更に心配事の85%で悪い事を予想していたにもかかわらず、実際は良い事が起きたと言います。
このような事が解って「なーんだ、そうか。じゃあ心配いらないな」と思えればいいんですが、人はなかなか事実を知っただけでは物語を勝手に創作してしまう自動思考は止まらないものです。

しかし、こういった事実もあると、まずは認識する。頭の隅にでも置いといて下さい。(笑)