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神道6

篤胤さんのこういった思想は当時の民衆に受け入れられていき、その考えや思想がどんどん広まっていきます。

篤胤さんの「生きてる人は死んだ後の人々は見えないが、死んだ人達は自分たちを常に見守ってくれているんだ」という考えが民衆に受け入れられていたようです。

その後、篤胤さんは復古神道(古道学)の大成者と言われるようになります。要するに、本居宣長さんの時代のまだ研究段階としての国文学などの学問を、古神道というものへ宗教化していった方だと捉えることができます。

こうした江戸時代の復古神道の流れが幕末から明治にかけて活発になっていき、大本、神道天行居、出雲大社教、神理教、古神道仙法教などの宗教が生み出されていきます。

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神道5

有名なところでは「天狗にさらわれた寅吉少年事件」があります。江戸後期、少年寅吉はお祭りで壷売りの壷を見てたいたら、その壷に呑み込まれたっていうお話です。
そして数年後、寅吉は浅草の観音堂の前に現れ、「今まで天狗の世界で暮らしていた」と語りました。

勿論、こんなことは周りの人達は誰も信じませんでした。そこで登場するのが不思議大好きの平田篤胤さんです。
そして彼とその仲間たちが「この話は凄い話では?」と思い、寅吉を自分達の家に数年間住まわせて生活を共にしました。その間、寅吉は天狗の世界の風習や修行の仕方、文化や日常に関してかなり詳しく話しました。

これを平田篤胤さんは「仙境異聞」という本にしました。この本は世に出ると、たちまち江戸後期の大ベストセラーとなったようです。しかし、「仙境異聞」は書かれた後、長らくは高弟でも見ることもできなかった門外不出の書物だったと言われています。

当然、ただの「嘘つきな少年」として片付ける説もあります。しかしこの当時の平田篤胤さんは最高の国学者であり、最高の頭脳の持ち主と言われていたのも事実です。更に、その仲間たちもかなり優秀な方達であったようです。そんな方達が嘘だとは思えないほどの何かが、この少年が語る異世界のお話にはあったのではないでしょうか?

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神道4

そして、その後を引き継いだのが平田篤胤さんです。

元々平田篤胤さんは秋田藩の藩士の家に生まれたのですが、父親ともそりが合わず、秋田藩も財政難で不安定な事も重なって上京を決意したようです。

しかし、この時には本居宣長さんは既にお亡くなりになられていたようです。

お金もほとんど持ち合わせがない状態での上京だった為、雑用などの仕事をこなしながら、仏教、儒教、道教、蘭学など、様々な学問を学んでいったようですね。

ある時、勤勉でよく働くことを買われ、松山藩の平田藤兵衛篤穏さんに養子として引き取られます。その後、結婚して生活も安定して、より学問に打ち込んでいきます。

この頃に篤胤さんは本居宣長さんの思想に触れ、深く感銘を受けます。そして国学者を志すようになっていったようです。その後は塾を開きながら、多くの著書を出版し続けます。

 

「霊能真柱(たまのみはしら)」は宣長さんの「死後の世界観」とは異なる世界観を解いたもので、周囲に大きな波紋を呼びました。この著書は篤胤さん独自の世界観が明確に現れているもので、それ以降の平田篤胤さんの思想の方向を決定するのに重要なものとなりました。

篤胤さんが師と仰ぐ本居宣長さんは、従来の考え方にもあった「人は死ねば誰もが黄泉の国に行く」と考えていたようですが、篤胤さんはこの考えを全否定しました。

篤胤さんの考えとしては、「人は死ねば、その魂がどこか別世界に行ってしまうのではなく、この世界にとどまる」という考えを持っていたようですね。
そして「その霊魂は神となり、 現世に残された人たちを守る守護神のようになる」とも考えていたようです。

その後、篤胤さんはこの死後の世界観や神々の世界、または神仙などの異次元的な世界観を信じて深い探究をしていきます。

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神道3

この方は江戸時代の方で、古事記、万葉集などの日本の古典を研究して、日本固有の思想や精神を究めようとする学問である国学の有名なスペシャリストです。

また、国学だけではなく文献学者でもあり、朱子学、漢学などにも精通し、更にお医者さんとして開業されていた人です。

※1文献学(文章を理解するための歴史、文化、言語を研究する学問)
※2朱子学(儒教の新しい学問体系、故に儒学でもある)
※3漢学(中国の学術や、中国に関する学問の称)

本居宣長さんについて更にもう少しだけ見てみましょう。

1730年に現在の三重県松坂市に木綿商の子として生まれます。京都で医学を学び松坂に帰京した宣長さんは、昼は医者、夜は町の人に和歌や源氏物語を教えたり古典を研究して過ごされたようです。


そして以前より感銘を受けていた賀茂真淵さんと新上屋という旅館で会ったことがきっかけとなり、6年間手紙でやり取りし、教えを学びました。それと同時に、共に古道説を唱えて体系づけたと言われています。

古道説とは、一口に言えば「日本古来の純粋で素朴な日本人の精神」を重んじる考え方を言います。

宣長さんは「古事記」などの古典を紐解いた結果、「神の意志に従い、素直に生きることこそが古代の日本人の道であったのだ」という考えに至ったのでしょう。

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名言集

名言9-本居 宣長

名言集 本居 宣長
(江戸時代の国学者、文献学者、言語学者、医師/1730~1801)

「かぎりを行うのが人の道にして、そのことの成ると成らざるとは人の力におよばざるところぞ。」

自分の今やるべきことを全力を尽くしてやる。
それが成功するかしないかは、私たちの及ばぬところである、という意味ですね。

宣長さん自身も35年もの時間をかけて「古事記伝」を完成させました。その執筆中もきっと「結果がどうなるのかは解らないが、今できる事をするしかない」という思いだったのでしょうね。

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神道2

勿論、この団体に所属していない神社も多くあるようです。
日光東照宮、靖国神社、伏見稲荷大社、気多大社、常陸国出雲大社なども所属していないようです。よく知られている天理教、金光教、黒住教、御嶽教、大本などの神社神道系の教団もそうですね。

「神社神道」は、天皇を現人神として伊勢神宮や皇室をメインにして祭りを行うものです。
日本人の生活と伝統的に結びついてきた宗教でもあると思いますが、本来はそれだけが神道ではありません。

一口に「神道」と言っても多種多様です。
まず、純粋に大自然のすべてに畏怖し信仰の対象にしたものがあります。
また、その土地により独自に育ち、成り立っている教えや考えもあります。

更に教典や教会があり、教祖や創始者がいて組織的に布教活動もする神道系列の団体などもあります。

「神道」ではなく「古神道」といった場合には「古代日本からあった日本ならではの信仰があった」ことを仮定しています。そしてそれを「現代に蘇らせたのだ」と主張する宗教の事を一般的に「古神道」と言います。

現在まで神道として伝えられているものや神社で行われている多くの事は、実は昔から引き継いでいるものではあるものの、仏教を始めとしてあらゆる宗教(※)の影響を受けています。

※1仏教、密教
※2儒教
※3道鏡
※4キリスト教
※5ヒンドゥー教
など

「古神道」を復興させるという事は、「神道」と言われるものが「古代の考えのものとは違ってきている」という考えが背景にあるからでしょう。

では、古代の日本人が持っていた信仰や思想などをどうやって知ったのか?という疑問が湧いてきます。

そこで登場するのが、皆さんも聞いたことがある本居 宣長(もとおり のりなが)さんです。

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神道1

もうすぐお正月ですね。
お正月と言えば初詣。神社にお参りに行かれる方も多いと思います。
その神社を中心とした日本の神々への信仰、それが神道ですね。

今回はこの神道(しんとう)についてのお話をします。
しかし、捉え方は人それぞれです。そして実際、誰もが「これが正しい」とは言い切れないほど、多種多様な捉え方があります。

なるべく「こう捉えた方が理解しやすいのでは?」、「後に役に立つだろう」という捉え方で書いていきたいと思います。あくまで「そういう捉え方もあるのか」と思って読んでみて下さいね。

一口に神道と言っても信仰する対象がとても多くあります。
海、川、山、草や木、石など、自然の一部や先祖など、信仰の対象にしたものが色々とあります。
本当に日本には神様がそこらじゅうにいます。(笑)

こういった思想は日本に仏教が入る前からある考えで、ある意味、日本人が培ってきた「日本人の為の宗教ではないのか?」とも言えます。

しかし、現在は一般的に神道と言う場合には「神社神道」のことを指します。
この場合の神道というのは神社への信仰を中心としたもので、それぞれの土地の神社を拝むものです。皆さんが神社にお参りに行かれるのもこれですね。

その中でも圧倒的に数が多いのが宗教法人「神社本庁」が統括する神社です。
この「神社本庁」、もとは内務省の外局であった神祇院の後継的存在です。
しかし庁が付くからといって、現在では官公庁ではありません。民間の宗教法人です。その数は全国に1万8千社あります。

この神明神社の総本社でもあり、日本の約8万社の神社を包括しているのがこの宗教法人「神社本庁」という事になります。

そして古来より「伊勢神宮」を全国の神社の総親神として本宗と仰ぎます。

要するに、これらの神社の頂点が「伊勢神宮」というわけです。
その頂点である神社(内宮)には、神道の神々の中では最高位に位置する太陽を神格化した「天照大神」が祀られているということです。

「あっ、だから皆、お伊勢さん行くのか?」と言う声が聞こえてきそうですね(笑)

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名言集

名言8-ボブ・マーリー

名言集 ロバート・ネスタ・マーリー
(ジャマイカのシンガーソングライター、ミュージシャン/1945~1981)

君は雨を愛していると言うけど、傘をさして歩く。
太陽を愛していると言いながら、日陰に逃げこむ。
風を愛しているのに、窓を閉じる。
だから、愛していると言われるとこわいんだ。

もしかしたら、望んでいることを阻止してるのは、自分自身かも知れませんね?

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物語

自分の世界を広げる為に物語を考えてみよう3~狐と木こり10

普通は、態度や行動が言葉と違う人とコミュニケーションをとれば、誰でも戸惑いますよね?

これがもし、その行動をとった人よりも自分の立場が弱いなら、恐れを感じたり、自分に敵意があるように感じてしまうこともあります。

この相反する二つのメッセージを同時に与えることを、心理学ではダブルバインドとか二十拘束とか言います。
例えば母親が子供を叱るときに矛盾するメッセージを同時に与えると、子供は強いストレスを感じて混乱してしまいます。統合失調症にもなりやすいとも言われています。

顔では笑ってても言葉では「〇〇ちゃん、そんな悪いことをしてはダメ」などと言うのがそれに当たります。当然、子供は大人よりコミュニケーションスキルが少ない為、混乱するのも当然でしょうね。

また、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の心理学者であるアルバート・メラビアンが1971年に提唱した「メラビアンの法則」というのがあります。

人は他者と話をするとき、ただ単に言葉だけでコミュニケーションをしているわけではありません。言葉のコミュニケーション以外に視覚情報や聴覚情報など、言語に頼らない非言語コミュニケーションを意識的または無意識に感じとってコミュニケーションをとっています。

要するに、メラビアンの法則を用いれば、「矛盾した情報を与えられた人は、ボディーランゲージや見た感じの方が、言語によるメッセージの内容よりも優先してしまう」ということです。

こう言われると、キツネが木こりにお礼を言えなかったのは当然ですよね?
やはり言った事と行う事を一致させないと、「人にもなかなか信用されない」って事ですかね?
しかし、もっと怖いのは「自分自身に信用されなくなる事」かもしれません。

と・・偉そうな事を言いつつも・・・なんと・・・このお話しの中で「木こり」を「猟師」と三か所も書き間違えて矛盾する情報を提示しちゃいました。私こそ信用されませんね(泣)すみませんでした。

ちなみにもう直しちゃいました。でも、意外と読めたでしょ?(笑)いやいや・・・本当にすみませんでした。

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物語

狐と木こり9

木こりは怒ったようにキツネを呼び止めました。

「おいおい、命の恩人に対して礼も言わないのか?
恩知らずなキツネだなぁ。」

キツネは答えました。

「あなたが言葉の通りの行動を取っていたら、私は何度もお礼を言ったでしょう。
でも、あなたの手は、言葉とは反対の動作をしていましたよ。」