カテゴリー
その他

神道4

そして、その後を引き継いだのが平田篤胤さんです。

元々平田篤胤さんは秋田藩の藩士の家に生まれたのですが、父親ともそりが合わず、秋田藩も財政難で不安定な事も重なって上京を決意したようです。

しかし、この時には本居宣長さんは既にお亡くなりになられていたようです。

お金もほとんど持ち合わせがない状態での上京だった為、雑用などの仕事をこなしながら、仏教、儒教、道教、蘭学など、様々な学問を学んでいったようですね。

ある時、勤勉でよく働くことを買われ、松山藩の平田藤兵衛篤穏さんに養子として引き取られます。その後、結婚して生活も安定して、より学問に打ち込んでいきます。

この頃に篤胤さんは本居宣長さんの思想に触れ、深く感銘を受けます。そして国学者を志すようになっていったようです。その後は塾を開きながら、多くの著書を出版し続けます。

 

「霊能真柱(たまのみはしら)」は宣長さんの「死後の世界観」とは異なる世界観を解いたもので、周囲に大きな波紋を呼びました。この著書は篤胤さん独自の世界観が明確に現れているもので、それ以降の平田篤胤さんの思想の方向を決定するのに重要なものとなりました。

篤胤さんが師と仰ぐ本居宣長さんは、従来の考え方にもあった「人は死ねば誰もが黄泉の国に行く」と考えていたようですが、篤胤さんはこの考えを全否定しました。

篤胤さんの考えとしては、「人は死ねば、その魂がどこか別世界に行ってしまうのではなく、この世界にとどまる」という考えを持っていたようですね。
そして「その霊魂は神となり、 現世に残された人たちを守る守護神のようになる」とも考えていたようです。

その後、篤胤さんはこの死後の世界観や神々の世界、または神仙などの異次元的な世界観を信じて深い探究をしていきます。

カテゴリー
その他

神道3

この方は江戸時代の方で、古事記、万葉集などの日本の古典を研究して、日本固有の思想や精神を究めようとする学問である国学の有名なスペシャリストです。

また、国学だけではなく文献学者でもあり、朱子学、漢学などにも精通し、更にお医者さんとして開業されていた人です。

※1文献学(文章を理解するための歴史、文化、言語を研究する学問)
※2朱子学(儒教の新しい学問体系、故に儒学でもある)
※3漢学(中国の学術や、中国に関する学問の称)

本居宣長さんについて更にもう少しだけ見てみましょう。

1730年に現在の三重県松坂市に木綿商の子として生まれます。京都で医学を学び松坂に帰京した宣長さんは、昼は医者、夜は町の人に和歌や源氏物語を教えたり古典を研究して過ごされたようです。


そして以前より感銘を受けていた賀茂真淵さんと新上屋という旅館で会ったことがきっかけとなり、6年間手紙でやり取りし、教えを学びました。それと同時に、共に古道説を唱えて体系づけたと言われています。

古道説とは、一口に言えば「日本古来の純粋で素朴な日本人の精神」を重んじる考え方を言います。

宣長さんは「古事記」などの古典を紐解いた結果、「神の意志に従い、素直に生きることこそが古代の日本人の道であったのだ」という考えに至ったのでしょう。

カテゴリー
その他

神道2

勿論、この団体に所属していない神社も多くあるようです。
日光東照宮、靖国神社、伏見稲荷大社、気多大社、常陸国出雲大社なども所属していないようです。よく知られている天理教、金光教、黒住教、御嶽教、大本などの神社神道系の教団もそうですね。

「神社神道」は、天皇を現人神として伊勢神宮や皇室をメインにして祭りを行うものです。
日本人の生活と伝統的に結びついてきた宗教でもあると思いますが、本来はそれだけが神道ではありません。

一口に「神道」と言っても多種多様です。
まず、純粋に大自然のすべてに畏怖し信仰の対象にしたものがあります。
また、その土地により独自に育ち、成り立っている教えや考えもあります。

更に教典や教会があり、教祖や創始者がいて組織的に布教活動もする神道系列の団体などもあります。

「神道」ではなく「古神道」といった場合には「古代日本からあった日本ならではの信仰があった」ことを仮定しています。そしてそれを「現代に蘇らせたのだ」と主張する宗教の事を一般的に「古神道」と言います。

現在まで神道として伝えられているものや神社で行われている多くの事は、実は昔から引き継いでいるものではあるものの、仏教を始めとしてあらゆる宗教(※)の影響を受けています。

※1仏教、密教
※2儒教
※3道鏡
※4キリスト教
※5ヒンドゥー教
など

「古神道」を復興させるという事は、「神道」と言われるものが「古代の考えのものとは違ってきている」という考えが背景にあるからでしょう。

では、古代の日本人が持っていた信仰や思想などをどうやって知ったのか?という疑問が湧いてきます。

そこで登場するのが、皆さんも聞いたことがある本居 宣長(もとおり のりなが)さんです。

カテゴリー
その他

神道1

もうすぐお正月ですね。
お正月と言えば初詣。神社にお参りに行かれる方も多いと思います。
その神社を中心とした日本の神々への信仰、それが神道ですね。

今回はこの神道(しんとう)についてのお話をします。
しかし、捉え方は人それぞれです。そして実際、誰もが「これが正しい」とは言い切れないほど、多種多様な捉え方があります。

なるべく「こう捉えた方が理解しやすいのでは?」、「後に役に立つだろう」という捉え方で書いていきたいと思います。あくまで「そういう捉え方もあるのか」と思って読んでみて下さいね。

一口に神道と言っても信仰する対象がとても多くあります。
海、川、山、草や木、石など、自然の一部や先祖など、信仰の対象にしたものが色々とあります。
本当に日本には神様がそこらじゅうにいます。(笑)

こういった思想は日本に仏教が入る前からある考えで、ある意味、日本人が培ってきた「日本人の為の宗教ではないのか?」とも言えます。

しかし、現在は一般的に神道と言う場合には「神社神道」のことを指します。
この場合の神道というのは神社への信仰を中心としたもので、それぞれの土地の神社を拝むものです。皆さんが神社にお参りに行かれるのもこれですね。

その中でも圧倒的に数が多いのが宗教法人「神社本庁」が統括する神社です。
この「神社本庁」、もとは内務省の外局であった神祇院の後継的存在です。
しかし庁が付くからといって、現在では官公庁ではありません。民間の宗教法人です。その数は全国に1万8千社あります。

この神明神社の総本社でもあり、日本の約8万社の神社を包括しているのがこの宗教法人「神社本庁」という事になります。

そして古来より「伊勢神宮」を全国の神社の総親神として本宗と仰ぎます。

要するに、これらの神社の頂点が「伊勢神宮」というわけです。
その頂点である神社(内宮)には、神道の神々の中では最高位に位置する太陽を神格化した「天照大神」が祀られているということです。

「あっ、だから皆、お伊勢さん行くのか?」と言う声が聞こえてきそうですね(笑)