1 感覚と知覚から認知行動へ

私達は人から言われたささいな一言で悩んだり、傷ついたり、元気になったり、
救われたりもします。
しかし、同じ事を言われても誰に言われたかによっても異なってくるでしょう。
では私達はどのように人を判断しているのでしょうか?

また悩んだり、傷ついたりした時「何故こんなことが起こったのだろう?」と原因を考え、様々な
行動を決定したりしています。

こう言った心の不思議は何故起きるのか?これらに関係すると思われる情報を

それにはまず情報をとらえる感覚とそれを認知する知覚について少しお話します。

自分の身体の状態や外の世界の物や事柄を目、鼻、耳、舌、皮膚などの感覚器官を用いて
ボールを見て丸い、通行人の洋服を見て赤い、ケーキを食べて甘い、日ざし、犬の鳴き声などと
単純に目、鼻、耳、舌、皮膚などの感覚器官で感じ取ることを一般に「感覚」と言います。
これらの五感とは別に内臓感覚、身体の移動を感知する運動感覚、常にバランスを取っている
平衡感覚などもあります。


また感覚と同じようにとらえがちなものに「知覚」というものがあります。
感覚でとらえた情報を認識することを一般に「知覚」といいます。
例えば、「何か音が聞こえるけど何の音だろう?」とここまでは感覚です。
その音を聞いて「これは動物の鳴き声だ」と認識することを知覚といいいます。

私達は外界の環境、事象、事柄、自分の身体も含めありのままに感じていると思い込んでいる
ところがあります。しかしこれらは必ず何らかのフィルター越しに物事をとらえているので実は
ありのままではありません。

これは感覚で捉えた情報を知覚する過程でフィルターが発生して物事を判断してしまいます。

このフィルターには知識、経験、注意、思考、期待などがあります。
遠くにゾウがいても大きいと感じられるのはゾウは巨大な動物だと言う知識がそうさせています。
また騒がしいパーティー会場などでも会話が成り立つのは注意のおかげでしょう。

(学問としては少し話しがずれるかもしれませんが人の心理を学ぼうとする私達には重要な流れだと思いますのでこの流れで書いていきます。)

その一つにハロー効果と言うものがあります。
例えば今まで他の人と同じように付き合っていたのに医師という職業を聞いた瞬間イメージが変わって人格者のように思えてきたり、銀行員と聞いて真面目で堅実な人と言う印象をもったりしたことはありませんか?
またビジネスとして付き合っていてもでも○○大学卒と聞いた瞬間に仕事が出来るようなイメージがわいてきたりしたことはありませんか?これは少し考えてもわかりますが医師と人格者、銀行員と真面目、○○大学卒だから
仕事が出来るなどは関係ないことですが人はどうしてもそのような先入観が働いてしまいます。

同じようなものに社会心理学で用いられるステレオタイプやスキーマと言うものがあります。
ラトガース大学のコーエンはある女性が夫と自分の誕生日を祝っている場面をビデオテープに収録した。
被験者は,これらの場面をを撮影した15分間のビデオを見せられるが,事前に被験者の半数には,この女性は「司書」であると,他の半数には「ウェイトレス」であると教示しておきました。

このビデオの中の女性は,司書のスキーマの特徴を9つ,ウェイトレスのスキーマの特徴を同じ数の9つ挿入してありました。(例えば司書の特徴として「ピアノを弾いている」ウェイトレスの特徴としてビールを飲んでいるなど)そしてビデオを見た4日後、7日後に,被験者に内容を思い出してもらうと,あらかじめ知らせておいた職業に一致する特徴の再認成績が良かった。と言う実験報告があります。

また外見の特徴によって判断されるステレオタイプも幾つか存在すると考えられています。
例えば背の高い人は○○の特徴、綺麗な人は○○だなどです。一般に美=良のステレオタイプが働きます。
服装などによっても表れると言われています。

例えばアメリカのビックマンは、服装の違いがどのように受け答えの反応に
影響を与えるかの実験を行いました。

実験者は電話ボックスの中のよく見える場所に10セントコインを置いておきます。
電話を掛ける人(被験者)がボックスに入るのを見届け少し時間を置いてから
「そこに10セントコインが置いてありませんでしたか?」と尋ねました。
実験の結果、尋ねた人がどのような人物かによって被験者の反応がことなりました。

これに対してちゃんとした受け答えをしてコインを渡してくれた人の割合は、
尋ねた人の整った身なりをしていた場合は約8割の被験者がまともに受け答えをしコインを手渡しました。
それに対し汚れた身なりであった場合は3割強しかまともに受け答えをしませんでした。

ここでもスキーマやステレオタイプと言う一種のフィルターと呼んでよいものを用いて,
人物や物事を知らず知らずのうちに判断してしまう傾向をもっています。

このように私達はありのままをみることはできません。
たえず、事象、自己や対人、環境などあらゆるものを何らかのフィルター越しにしか見る事しかできないようになっているようです。